diarium

どうしようもない自分の日々の徒然を記録します。

性について考える

私は、30の時に子宮体癌を罹患し

子宮と、卵巣、周辺部分を全摘した。

その当時、娘が欲しくて、欲しくて

しかたなかった。

当時、付き合ってた、いや、実際は

付き合ってたと思ってたのは私だけで、

相手は、付き合ってたとは思ってなかったようだった。

その相手は、風俗嬢に夢中だった。

相手は、当時、私と12歳ほど年上で、銀行員だった。

風俗嬢は21だった・・・。

ある日突然、風俗嬢からメールがやってきた、

「あんたのせいで苦しんだから、お前も苦しめ。」と

「死ね!」と連呼された、文面と手首切った写真が

毎日1時間ごとに4,5回、3ヶ月ほど送られてくるようになった。

相手には、

「手を切って、私のところに帰ってきてくれ」と

言ったのだが、

相手は

「彼女の面倒をみたい、彼女は飽き性だから、きっと去るだろう。

そのあと、君の元へ。」

と言われた。

悩んだけど、全摘が終えると、ふと、もうこの人いいやって思った。

周りには、銀行員だから、我慢したら、後々生活は心配しないでいいと言われた。

あの時、我慢して、待つという選択もあったのかもしれないけど

その時で3年我慢して待った結果が、風俗嬢の面倒をみたいという申し出なら

今後も我慢して、一緒にいたとしても、この人はなにかにつけてふらふらするんだろうなと思ったから、案外簡単に吹っ切れた。

むしろ、当時、親、親族に結婚できない女は、女として、最低だと言われてたんで、

なんとか、しがみついて、早く、結婚して、罵られたくないという気持ちが大きすぎてた。別れた時も、今振り返っても、なんと無駄な時間を費やしたんだろうと思った。

 

自分の中で、どうせ、男なんてという気持ちが元々あったのかもしれない。

どうせ、私なんてってのもあった・・・、うん。

 

私が、性について考えるようになったのは、術後だった。女は子供を産んで一人前という、古い家庭で育ったので、子供ができなくなってからは、私は女なんだろうか?という疑問にいつも悩まされるようになった。だからといって、男でもないから、女だという解決にならなかった。

当時働いていた会社でも、君は、子供を産めないからちょうどいいと言われて、子会社に飛ばされることとなった。

勤めた会社を辞めて後、39歳10か月で、乳がんを罹患した。しかも両側。女性ホルモンが起因した乳がんで、僅かな女性ホルモンもシャットダウンされる薬が投与されている。

私は、女性なんだろうか・・・。

もし、今度、結婚というか、人生のパートナーについて考えるなら、今ではなく、

子供という意識をしなくていい年齢、性別を意識しなくていい年齢になったら、考えたいと思う。

一人で生きてくのは寂しいから・・・。