diarium

どうしようもない自分の日々の徒然を記録します。

食べていくためのネタを増やすために、資格試験の勉強を再度始める

資格試験の勉強って大きくネタを書いているけど

今まで、なにかの勉強をしていたことは間違いないし、

若いときは、結構な値段の塾にも通っていた。

結果としては、なにもモノにならなかった。

それ以降、だらだら、本を買っては、改正の度に買い替え

無駄に金を使っていた。

むしろ、本を買うことだけで満足していたんだと思う。

その本から、カスみたいな知識だけは得られたが、

資格として結果を得られるような勉強は全然しなかった。

たくさんの言い訳をして、最後は、

まぁいいかでずっと済ませてきた。

私自身、癌を2回して、長生きしないし、

こうして、無駄にぐずぐずすれば、やがて死ぬだろうと

まじで思っていた。

考え方が、軽いというか、浅いというか・・・。

生きることに対して、本当にどうでも、よかった。

生きなおすっていうことじゃないけど

考え方を改めないといけない時期がきてしまった。

むしろ、もっと早めに改めるべきだった。

2回癌をしても、死ぬ気配がない!

だめだ、ちゃんと、生きる手段、術を考えないと、

老後生きていけない。

給料が安すぎる・・・。

で、首になる可能性もある。

手に職はない。

自分にとって、売り物は、なにもない。

まずい

このままだと、ホームレスの道につっこんでしまう。

なんだかんだと言い訳してた自分に鞭をうつ。

若いころは、あれこれ手をだして、半端な形になった。

あれこれ資格関係の記事を読み、

自分の専門性を高めるために、

取りたい資格を2つにしぼった。

今、死ぬ気で勉強して、50までに取れたら、

15年は飯を食えるだろうと見越して。

二つとれたら、専門性を相続として、

それで飯を食いたいと思う。

学生時代は、ばりばり働くなんてことは

考えてなくて、

適当に働いて、子育てをしたいってのが

私の希望だった。

若いころ、思い描いてた将来像とはまったく違うものだけど

それが、人生だ。

昔、ドラマで誰かが言ってた気がする

「人には役割がある」と

私には、母親という役割はなかったけど、

人に寄り添って生きていくという役割なら果せるのではないと

少しだけ、生きることに希望を見出した。